芸能人に人気のインターナショナルスクールは欧米流の個性を育てる教育スタイル。
芸能人が子供の教育に、日本の教育ではなく欧米の教育を望むのはなぜ?
理由を考えてみました。
・日本人が少ないため芸能人の子供だと騒がれたりしない。
・子供をバイリンガルに育てられる。
・個性を育て、伸ばしてくれる。
・自分の考えを積極的に発言できる授業形式だから、ポジティブな人間が育ちやすい。
このような理由でインターナショナルスクールを選ぶのではないでしょうか。
日本の教育スタイルで私が思う、良いと思うことと問題だと思うことをここで書き記しておくことにします。
日本の教育スタイルは平等・集団主義
日本は、万人が等しい教育を受けて基礎学力をつけるべきだという姿勢があるため、どんな子供でもある程度の学力を持っていますよね。
勉強が好きで成績が良い子、勉強が嫌いで成績が悪い子、勉強は普通、成績も普通の子が同じクラスに存在します。
成績によって子供を分けません。
つまり、平等主義。
先生の授業をよく聞き、先生が板書したものをノートにとる。
先生から質問があるかどうか尋ねられたときに手を挙げ、当てられた子供が質問できる授業形式。
ルールが存在し、それに従わせ、ルールを破ると先生から叱られる。
6~7名ほどからなる班を作り、班で話し合った事を班の考えとして発表したり、問題がわからない子には班のメンバーが教えたり、ルールを守らず迷惑をかけるメンバーを諭したりして、班で行動し、成長を促すことに力を注いでいる。(班は、先生の判断で、月初めや学期初めにくじなどによってメンバーを変える。)
先生は子供を差別しないように、個人を誉めるのではなく、班全体を誉めるという傾向がある。
このような教育は、 平等主義、 集団主義、連帯責任に価値を置き、そこから生じる我慢や忍耐を教え、協調性をもって行動する子供を育てる。
日本の優秀な子供の位置づけは、ルールを守り、授業で質問はしないが学力がある子(手がかからない子)ではないでしょうか。
また、ずば抜けて良い科目があっても、そこはそれほど評価されず、弱点がなくてすべてが均等に良いということの方が評価されています。
日本の教育は、他の人と違うことを良しとする 個性よりも均一性を重要視している。
このような特徴があると思います。
日本の学校教育の良いところ
基礎学力が高い。
助け合いの精神が生まれる。
他人の気持ちに寄り添える人間に育つ。
組織力が高くなる、チームプレーに強くなる。
日本の学校教育を受けて成長中のわが娘
わが娘は、非常に人の目を気にする人間に成長中です。
娘が小学生だったとき、授業がなくてランドセルで行く必要がない日がありました。
「どっちで行ったらいいと思う?」と聞くので、「ランドセル自体が重いからバッグで行った方がいいと思う。」と言いました。
そのときはそれで納得したようでしたが・・
その後、「他の人が全員ランドセルで学校に行ったらどうしよう。」と言い出します。
「どっちで行ってもいいんだから、他の人は関係ないでしょ。バッグでいいよ。」と言ったのですが、
「私だけバッグだったらいやだ。どうしよう・・」
人と違うことは恥ずかしいと思う気持ちが強く、どうしようを連発していました。
結局どうしたかというと・・・
次の日の朝、登校している友達を家の中から見つけ、ランドセルをしていたので、ランドセルに替えて学校に行った次第。
これは、集団主義に価値を置き、個性よりも均一性を重要視する日本の教育の成果が現れている例だといえます。
現在中学生である娘が気にしていること。
友達と遊びに行く時に着ていく服が皆と雰囲気が違っていたらどうしよう・・ということ。
やはり皆と一緒を意識している娘の姿があります。
人と一緒が安心する。
目立つことはしたくない。
自分という存在よりも他人の存在を重要視している、他人に依存している姿。
発表をするのも目立つことになるから嫌だという娘。
人の目を非常に気にする子になってしまっています。
これって絶対良くない。
そう思う自分も、この日本の教育をどっぷり受けて育った人間。
今よりも先生の存在は大きく絶対的で、ルールを守らないと皆の前でひどく叱られる教育スタイルの中で育った私。
皆の前で先生から叩かれ、繊細な心がひどく傷ついた日のことは、今もはっきりと覚えています。
家庭環境も似ていました。
自分が思ったことをすべて声に出して言えない。
父は短気で怒ると手が出る人だったので、怒らせるようなことを言ったら叩かれるから余計なことを言ってはいけないと、自分に言い聞かせていました。
そのため、もともとおとなしい私は、何かを自由に発言するどころか、自由に行動することもはばかる、委縮した人間になってしまいました。
自分の意見を発言する機会が少なく、結婚後は仕事を辞めているので、さらに人前で発言する機会は乏しくなりました。
娘の学校の懇談会は、一人一言何か言わなければならないときが必ずあります。
いつも、非常に緊張してしまい、言いたいことの半分も言えないのです。
そういう自分がたまらなくいやなのですが、これは、小さいころから受けてきた教育が問題だと思うのです。
日本の学校教育は、集団主義に偏りすぎている
日本の学校教育は集団主義に偏りすぎてしまっている。
班を作り、班で行動し、班のメンバーがまとまることに力を注ぎすぎだと思う。
班を作ることにより、集団主義に偏ることになる。
先生は個人を見るよりも班を見る。
個人を誉めるよりも班を誉める。
子供は全体の和を保つことが良いことなのだと思いこむ。
班を作るのは、先生にとって都合がいい。
班のメンバー同士がお互いを監視し合うため、クラスを乱すものがいなくなり、授業を進めやすくなるから。
自分を主張して班の空気を乱したりすることは、空気を読まない”KY”と言われ、疎まれる。
個性を出すことはいけないと思う。
自分の意見を言うことを避けるようになる。
団体行動ができない人はダメな人だとメンバーから諭され、皆に合わせるようになる。
その結果、周りの意見を伺い、場の空気を読むことにとらわれ、自分の意見が違っても合わせてしまう人間になる。
皆と違うのは恥ずかしい、皆と同じでないと安心しなくなってくる。
自分の意見を言えない、自分という軸を持たない人間になる。
これが現在の日本国民の大多数の姿。
異質なものを排除する日本と言われる。
議論ができない日本と言われる。
他人の目が気になり、自分が思っている事や考えていることが、他人から受け入れられるかを常に気にしたり、集団になじめない自分は価値がない人間だと思うことにより、うつ病などの心の病になってしまう人が多い。
仲間はずれなどの集団によるいじめが多いのも、集団主義を大切にしすぎて個をないがしろにしていることが原因だと思うのです。
まとめ
・日本の教育スタイルは平等・集団主義・連帯責任・協調性に価値を置く。
・日本の教育スタイルの良いところは、基礎学力が高い、他人の気持ちに寄り添える人間に育つ、助け合いの精神が強いため、組織力が高くなる、チームプレーに強くなる。
・日本の教育スタイルの問題だと思うところは、集団主義に偏りすぎて個をないがしろにしてしまっているため、うつ病や仲間外れなどのいじめが多くなる。
日本の教育スタイルの問題を強調する内容になってしまいました。
いつも仲間とつながっていないと不安。
集団の中に入っていないのは恥ずかしい。
そういう社会って息苦しい。
私は子供に口うるさく言います。
「人は人。自分は自分。もっと自分を大切にして欲しい。」と。
自分という軸を持って生きないと、人生を楽しめません。
自分が今まで日本の教育スタイルを思いっきり受けて生きてきた結果、そう感じます。
自分も変わるべく努力していきます。